
昇魂の碑までたった800m登るだけで、30分。息も上がり、汗だくになりました。とても急な山道、それだけでどれほどの急斜面なのかわかります。
そこにはいたるところにたくさんの墓標が立っていました。そして、四半世紀、25年近く経っても炭化した大きな切り株が残っていました。

群馬県の南端、上野村。松本からは八ヶ岳の南を迂回して清里、野辺山を過ぎ、小海駅から2号線を経由して124号を通って向かいます。武州街道の299号もありますが、名ばかりの国道でその道の狭さはあまり変わりません。村に至る幹線道路もこれだけ狭く、長野県側からは行くことはあまり望まれていない感じです。
それでも車を進めていくと、御巣鷹の尾根、右折の看板がようやく見えてきました。またそこからが長い長い道のりです。途中ダム工事のために、場違いなくらいの立派なトンネルがいくつも続きます。朝方だったこともあり、霧も出て幻想的でもあり、霊界へ近づいているふうでもありました。
124号を離れること30分以上、山道を進んでいくとやっと登山口に着きました。深い深い山の中です。きっと事故のために作られた道路なんでしょう。事故当時は当然こんな道はなく、足で山道を上がっていったのでしょうか?

ぜぇぜぇ息を切らして登った昇魂の碑の広場は思ったより狭く、山の頂にありました。
登山口でもらった地図を手に墜落した周辺を歩きます。
すぐにたくさんの墓標が目に入ってきました。1つや2つじゃありません。ずら~と同じ場所に並んでいたり、ちょっと離れた場所に数個あったり、いったいいくつあるんだって数です。山の斜面のいたるところに墓標が立っています。いくつある?そりゃ520もあるわけだから、ちょっとした墓地より多いはずです。
墓標には、亡くなったかたのお名前とその年齢も記されてあって、本当に若い人たちも亡くなっていました。

なかには9歳の子の墓標もあり、そこにはおもちゃがたくさん置かれてありました。雨風で色あせてしまっているのが時の経過を感じさせます。その子の墓標の後ろに立っている木には、クリスマスツリーみたいに飾りつけてあり、MerryChristam!とデコレーションされていました。時折、風でつるされたベルが音を立てます。その音が誰もいないこの山中に響きます。この子はその年のクリスマスを迎えることはなかったのです。ただ手を合わせてご冥福をお祈りするしかありません。
1985年から約25年経っても、妙に傾いたいびつな木があったり、炭化した巨木、地面の至るところには、当時焼けたであろう木々の炭片が落ちています。
25年です。それだけ経っても、当時の有様が残っています。こんな深い山の中で、25年経っても炭化した木はそのまま残っていたのです。手で触っても完全に炭化しており、乾いた手触りでした。
そして見上げた空は青く、入道雲が浮かんでいました。暑い夏の日です。
